ブランコ完成!!
採られたこごみ
釣果ゼロ・・・
スプライトファン
3週振りに山へ
リフォーム・修繕工事期間だったため、月初以来久々に山へ出かけます。
今日の午前は雨と風が強かったが、幸い明日は晴れで最高気温も
なんと27℃の予報!標高1200m弱の山のおうちでは何℃かな。
早朝から釣りに出て、ブランコを受取り、白木のテーブル・ベンチと共に
浸透防腐剤を塗ってきます。
きれいになった新生 “La Pomme de Pin” も楽しみです。
ハイオク指定
さてVW・アウディ車を乗り継いできましたが、いずれも日本では
ハイオク指定となっています。今までは考えていただけだったの
ですが、今回の暫定税率復活でとうとう実行に移しました。
何をかと言うと、オクタン価95の給油です。
具体的には、日本でのハイオク(オクタン価100)とレギュラー(同91)
を1:1程度で給油します。セルフのスタンドで空いている時間帯に行うのが
望ましいです。
欧州では大抵3種類のガソリンがあります。オクタン価91のBenzin Bleifrei, Ordinaire
95のユーロスーパー、98~のスーパープラスです。
欧州車は、この95を基準に作られています。そのため日本に来ると
ハイオク指定せざるを得ないのです。
今まで実行しませんでしたが、セルフスタンドの普及と、価格高騰、
そして学者さんの後押しで決意を固めた次第です。
数百キロ走行していますが今のところ不具合はありませんし、今後も
ないと信じています。(但し、実行は自己責任でお願いします。またハイオク指定の
日本車はオクタン価100を基準にしているかもしれませんのでご注意ください)
6月からは10円程度の値上げが予定され、ついにレギュラー170円台突入か、と
言われていますが、これで燃料代をリッター5円程度安く抑えることができます。
ディーゼル車の未来
昨日の続き
今日の原油価格の高騰ですが、考えていれば納得の話ではあります。
いつかはなくなる、と言われていた石油資源、それに加え新興国の
消費量がうなぎ上りなわけですから・・・
賢い人はこのあたりでかなり儲けたのでは?
かつて悪者だったディーゼル機関が日本で脚光を浴びる日も近いでしょう。
世界でも最も厳しい日本・米国の排ガス規制をユーロ5でついに達成
できるからです。
現実にメルセデスは日本市場に他社に先駆け昨年秋からEクラスにCDIを
投入しています。E320 CDIは、テキサス州ラレードからフロリダ州タラハシまでの
1,672kmを無給油で走破し、なんと平均燃費21.05km/リットルを記録したそうです。
リッター21km!自分もかつてドイツ~チェコ~スロバキア~ハンガリー~オーストリア
のドライブの際、フォードフォーカス1.9TDI MTで平均18~19Km/Lを記録
しましたが、3リッターで21Km/Lとはすごいです。これも時代の進歩でしょう。
VWがTDI+DSGを日本に投入してくれるのを期待しています。
原油価格高騰とクルマのこと
GOLF2 1.8 (MT)~B4 Audi80 2.6~B5 Passat 1.8T~AudiA4 2.0
~Touran 2.0と乗り継いで1リッターあたりの平均燃費は、それぞれ
11km台、8km半ば、9km台後半、11km台、11km後半~12km程度でした。
いずれもハイオク指定でしたが、燃費は時代と共に良くなっているのが
わかります。特にFSI(直噴)を採用したトゥーランが2リッターで150ps
と大きなボディの割りに好成績です。
最新のゴルフ・トゥーランは、FSI+ツインチャージャー+DSGで
170psでありながら14km台の10・15モード値を達成しています。
クルマとしてのトータルバランスがとても優れていると思います。
実際内外で数多くの賞を受賞しています。
これに加えて近いうちにユーロ5適合のTDIの日本投入も大きく
期待されています。私もTDI+DSGが出たら買い換えたいと思っています。
続く
「またたび清水」と「強清水」 (昔話)
先日のバス停の地名”強清水”に関する昔話を見つけました。
川中島(かわなかじま)出陣のため武田信玄(たけだしんげん)は隣の国、甲州から大軍を率いて大門(だいもん)峠を越え、大門の小茂ヶ谷(こもがや)の手前広原(ひろっぱら)のあたりにさしかかりました。信玄はここで本隊をとめしばらく休むことにしました。広原の道ばたにはこんこんと湧き出る冷たいきれいな清水がありました。
信玄は部下が汲んで差し出した清水をぐっと飲みほし「よい清水だ。」と喜び、しばらく休むと、号令をくだし、先をいそぎ大門の中心宮ノ上(みやのうえ)のあたりにさしかかりました。
その頃の宮ノ上部落は隣の窪城(くぼき)部落とひとつの部落になっていて、部落の高地には明神様がまつられていました。信玄は明神様にお参りするため再び部隊を止めました。
村人たちもてい重に信玄を出迎え、みんながだいじにしていた清水をお椀に汲んで信玄にさし出しました。いっきに飲みほして、「これは良い水だ。」とたいへんほめました。
「風林火山」の旗を押し立てて怒涛のような勢いで中部関東にまで手をのばし天下制覇を夢みて京都に向かって進みました。
ところが無念にも三河の野田城をおとしいれたころから、信玄は病気になってしまいました。一度甲州に帰って病気をなおしもう一度出なおそうと考え大軍をすごすごと引きかえさせました。
下伊那(しもいな)の駒場(こまんば)[阿智村](あちむら)まできたころ信玄の病気はますます重くなり、重臣を集め「あしたは風林火山の旗を全部たてろ。」と命令し、信玄はすっかり京都に乗りこんだつもりになり夢うつつのうちに、「・・・川中島出陣のとき飲んだ大門の宮ノ上の清水がほしい。水、水。」といいました。
重臣が相談してけらいの一人を早馬で水を汲みに走らせました。水を汲みに来た信玄のけらいは馬のうえで考えました。「宮ノ上の水を汲んで帰るまで総大将(信玄のこと)が生きているかどうかわからない。同じ大門の強清水を汲んで帰ろう。」
信玄の本陣からは強清水の方がずっと近かったからです。「殿大門宮ノ上の水です。」差し出された清水をひと口飲み終わった信玄は、「これは宮ノ上の水ではない。」と、いいました。病気で夢うつつのうちにも天下の名将は清水を飲みわけました。
ときに信玄53歳天正元年(1573年)4月12日死によって天下制覇の夢はむなしく消え去りました。
信玄のほしがった宮ノ上の水を汲んでこなかったことで汲みにやったけらいに、罰をすることでいろいろな議論がかわされました。
水を汲みにきたけらいは、いいました。「ぜひとも殿様の最後の喜びにむくいるために強清水を汲んできました。この清水も殿が川中島出陣のときたいへん喜ばれた清水です。」と、・・・・・
いろいろな意見がありましたが、水を汲みにきたけらいにおとがめはなにもありませんでした。
信玄がまた飲みたいと、いってから、この宮ノ上の清水を「またたび清水」とみんなが呼ぶようになり、広原の「強清水」とともに、とても有名な清水になりました。

”宮の上にあるまたたび清水” と ”小茂ヶ谷の強清水”

風林火山ののぼりだけが目印。
(以上、地元観光協会サイトより引用させていただきました。)









雨の翌日なので釣れるのではないか、ということで出かけましたが・・・


水量は多く水は冷たいですが、木々の新緑が美しかったです。

